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2014/11/25

骨とエストロゲン・パラドックス








エストロゲンは中高年の女性の更年期障害の治療だけでなく、骨量の低下をスローダウンするためにも処方されてきました (Ultralow-dose micronized 17beta-estradiol and bone density and bone metabolism in older women: a randomized controlled trial. Karen M Prestwood, et. al. 2003)。細胞レベルの研究では、エストロゲンは骨を吸収する破骨細胞を減少させることが示されてきました。
しかし、不思議なことに、骨量の低下はエストロゲンの低下が始まるかなり前から、エストロゲンが正常または正常な値より高くなり、卵巣のプロゲステロン分泌能力が低下し始めるころから始まります (このエストロゲン優位という現象のレビューには、「ホルモンバランス:崩れの推移」および Perimenopause: the complex endocrinology of the menopausal transition J C Prior 1998 を参照)。多くの女性にとって、骨量の低下は生殖能力の低下と共に40才前半からはっきりしてくる現象ですが、骨量低下が最も大きくなるのは、エストロゲンが低レベルで安定する閉経数年後以降ではなく、エストロゲンが安定しない移行期、更年期障害が最も顕著になる閉経前後の数年間です。
閉経前の数年間は卵巣の機能が弱くなり不安定になりますが、まだかなりの量のエストロゲン分泌能力が維持されています。時々、エストロゲンが通常より高くなることも知られています。更年期障害もこの時期に顕著になります (Revisiting the Duration of Vasomotor Symptoms of Menopause: A Meta-Analysis.Mary Politi, Mark Schleinitz, Nananda Col 2008)
ここで重要なことは、更年期障害の発現と重さは、エストロゲンの絶対量に対応していないということです。更年期に変動する各種のホルモンや更年期障害の重さと骨量の低下との相関関係を調べた研究では、骨量の低下はエストロゲンとの相関関係は低く、FSH、インヒビンA、インヒビンBなどとの相関関係の方が高いという結果になっています。つまり、相関関係だけを見ると、エストロゲンが骨量維持に貢献している度合いは小さいのです。更年期障害の重さに影響する要因を調べた研究でも、喫煙、ストレス、運動不足などエストロゲン以外の要因が関係していることが示されています。
さらに決定的なことは、拒食症の若い女性の骨量低下にエストロゲンは全く効果がないということです。
下の図1. に見られるように、閉経前後の数年間に骨量低下が加速されるという現象は疑う余地のない確立された現象です。


1. 緑色の点線が示す閉経前後の数年間(in transition)の骨量の低下が最も激しい。出典Change in bone mineral density as a function of age in women and men and association with the use of antiresorptive agents, Claudie Berger et. al. 2008
上の図からも明らかなように、骨量低下の加速は閉経以降ずっと続くわけではありません。更年期の移行期間とよばれる数年を経過すると骨量低下はスローダウンします。エストロゲンとの関係で言えば、エストロゲンが移行期間より低いレベルで落ち着く頃には骨量低下がスローダウンしているという逆説的な関係になっています。
  • V Seifert-Klauss, et. al. 20052006 の報告では、閉経直後の2年間に骨量が10.6%低下し、1年間で6%低下する例もあるということです。骨吸収を示すマーカー物質もこの時期に最も高くなることが示されています。
  • 日本で行われた研究 (Age, menopause, bone turnover markers and lumbar bone loss in healthy Japanese women., M Iki, E Kajita, Y Dohi, H Nishino, Y Kusaka, C Tsuchida, K Yamamoto, Y Ishii, 1996) では、閉経前後数年間の1年当たりの平均骨量低下が2.4% であるのに対し、更年期以前は0.01%、更年期を過ぎてからは0.85%の低下になっていると報告されています。
  • アメリカの研究 (Bone Mineral Density Changes during the Menopause Transition in a Multiethnic Cohort of Women. Joel S. Finkelstein, et. al. 2008) では、閉経前後の数年間の1年当たりの骨量低下は背骨で1.8~2.3%、腰骨で1.0~1.4%でした。閉経後5年間の骨量低下を合計すると、背骨で7~10%、腰骨で5~7%となり、骨折リスクという観点から見ると、骨折率が50~100%高くなる値となっています。
  • 骨代謝物質の研究でも、閉経前後の骨量低下の加速は明らかですが、更年期を過ぎるとその現象は消えています。骨量低下の加速は、不順とはいえ生理を誘発するに十分なだけのエストロゲンが分泌される閉経直前の数年間にも見られます。
閉経前後=更年期にはエストロゲンの絶対量以外の要因が骨代謝に影響していることは明らかです。それについては、後続のページで見ていきます。
骨シリーズ
  1. 骨の健康:更年期に何が起きるのか
  2. 骨を弱くする嘘つきビスホスホネート系薬剤
  3. エストロゲン・パラドックス  <<現在のページ
  4. 骨の維持とプロゲステロンの役割
  5. ストレスホルモンが骨を破壊する
  6. 更年期のエストロゲン補充が骨に役立つ理由
  7. お粗末な天然プロゲステロン研究の現状
  8. 骨質も骨量と同じだけ重要
  9. 骨の健康を維持するための基本


骨の維持とプロゲステロンの役割

プロゲステロン=黄体ホルモンの骨生成促進作用は実験室での研究では古くから知られていたことです。
さらに、黄体のプロゲステロン分泌能力の衰退は40才前後から本格的に始まり、エストロゲンの低下よりかなり前です。そのタイミングは骨量の低下が始まる時期に一致しています。
下の図. 2 は、閉経直前の数年間に見られる月経周期とその乱れを示しています。3回に1回は、エストロゲン(E1G)だけが上昇してプロゲステロン(PDG)が分泌されない周期になっています。

2. PDG = 尿内のプロゲステロン代謝物、E1G = 尿内のエストロゲン代謝物。太い黒線は月経のあった日。Skipped = 生理が来なかった、Normal = 正常の月経周期。出典:Progesterone and ovulation across stages of the transition to menopause.Kathleen O'Connor, Rebecca Ferrell, Eleanor Brindle, Benjamin Trumble, Jane Shofer, Darryl Holman, Maxine Weinstein 2009
プロゲステロンの低下が骨に与える影響
骨代謝の測定と月経周期内のホルモンの上がり下がりを測定した研究を見ると、プロゲステロンの骨生成の役割が明確に示されています (Progesterone and bone: a closer link than previously realized. V Seifert-Klauss, M Schmidmayr, E Hobmaier, T Wimmer 2012)
月経周期は排卵の前(卵胞期)と後(黄体期)の2期に分けることができます(生理期間を別にすると3期になります)。エストロゲンは排卵前と後の両期に分泌されるのに対し、プロゲステロンは黄体期にしか分泌されません。エストロゲンとプロゲステロンの分泌の有り無しの可能な組み合わせは2×24通りあります。黄体期だけを見ると、下の表のように、それぞれの組み合わせは、14の条件下で起きます。12が閉経前の正常な月経周期と排卵障害のある月経周期の違いを示します。
黄体期
プロゲステロン有り
プロゲステロン無し
エストロゲン有り
1. 正常の月経周期
2. 排卵障害 (排卵なし、あってもプロゲステロンの分泌が弱く長続きしない)
低いエストロゲン
3. 自然にはありえない組み合わせ。プロゲステロンのみを大量に補充したとき。
4. 生理が来なかったとき、止まったとき(卵巣摘出後や閉経後も含む)

閉経直前の数年間の月経周期を調べると、42% の月経周期で排卵が見られず、骨形成マーカーのBAPは排卵があった月経周期に増加し、排卵がなかった(プロゲステロン分泌がなかった)月経周期では増加しません。一方、骨吸収マーカーのピリディノリン(pyridinoline)は、排卵がありプロゲステロンが高くなった月経周期で低下するのに対し、排卵のなかったエストロゲンのみの月経周期ではあまり低下しないと報告されています。つまり、プロゲステロンは骨形成を促進し、かつ、骨吸収を抑制するということになります(直接か間接かはわかりませんが)。骨量の維持という観点から見ると、骨量を維持した女性では、正常の月経周期がより多く維持されていました。2年間の研究期間に骨量が低下した女性のデータの分析では、骨量減少との相関関係で、その42%を説明する要因として、生理の停止した回数、骨吸収マーカー、およびコーチゾルレベルが浮かび上がっています。若い女性を調べた研究 (人数 = 458、平均年齢 = 31) では、正常の排卵が年率 0.5% の骨量増加に結びついているのに対し、排卵障害は年率 0.7% の骨量低下に結びついていると報告されています (Progesterone and Bone: Actions Promoting Bone Health in Women. by Vanadin Seifert-Klauss, Jerilynn C Prior 2010: meta-analysis and review)
これらの研究で報告されているホルモンのパターンは、エストロゲンが維持されプロゲステロンが低下する、エストロゲン優位と呼ばれる現象ですが、このホルモンパターンは骨量低下ばかりでなく、さまざまの健康リスクに結びついていることは以前から指摘されていたことです。この健康リスクを避けるには、天然プロゲステロンの補充が有効であることも指摘されてきましたが、今のところ、閉経前の女性でそれを検証しようとした臨床実験は皆無です。
ストレスホルモン(コーチゾル、薬は通称ステロイド)の作用について理解しておくことも重要です。その骨を破壊する作用については次のページで詳しく見ていきますが、高レベルのストレスホルモンはプロゲステロンの分泌を長期間にわたって低下させることが観察されています。
つまり、高レベルのストレスホルモンは、プロゲステロンの分泌を長期間にわたって低下させることによってその破壊的作用を増幅するのです。プロゲステロンがゼロに近くなる閉経後のホルモンパターンがどれだけ健康リスクを増加させるかは想像するだけで背筋が寒くなりますが、今のところ、実際にどれだけ天然プロゲステロンの補充が健康リスクを回避するのに役立つかについてのデータは、正しいプロゲステロン補充とは言いがたい過剰投与を使った研究しかありません。その場合の健康リスクは、ホルモン補充を使用していない場合と同じ程度という結果です(詳しくは、「安全なホルモン補充: 確かな証拠」を参照)。
骨シリーズ
  1. 骨の健康:更年期に何が起きるのか
  2. 骨を弱くする嘘つきビスホスホネート系薬剤
  3. エストロゲン・パラドックス
  4. 骨の維持とプロゲステロンの役割  <<現在のページ
  5. ストレスホルモンが骨を破壊する
  6. 更年期のエストロゲン補充が骨に役立つ理由
  7. お粗末な天然プロゲステロン研究の現状
  8. 骨質も骨量と同じだけ重要
  9. 骨の健康を維持するための基本

    骨の健康:更年期に何が起きるのか








    骨粗鬆症は健康に対する重大な脅威です。一般に老化に伴って骨がもろくなり折れやすくなります。International Osteoporosis Foundation's Facts and statistics about osteoporosis and its impact によると、50才以上の女性の3人に1人が、男性の5人に1人が、骨粗鬆症が原因の骨折を経験するということです。現在の一般的な医療アドバイスやガイドライン、たとえば「骨粗鬆症の予防と治療ガイドライン2011年版」では、(1) 女性ホルモン、特にエストロゲンを補充すれば骨量の急激な低下を抑制して骨粗鬆症を防止できる、(2) ただし、ホルモン補充には危険な副作用があるので、癌や血栓などのリスクが高い人は、(3) 代わりにビスホスホネート系薬剤やEstrogen Receptor Modulator(選択的エストロゲン受容体モデュレーター)なる疑似エストロゲンを使えば骨を温存し強化できることになっています。
    (2) が前提としている、癌リスクや血栓リスクが高い人にはホルモン補充は危険すぎるというのは、間違ったホルモン補充を行った場合のことで、エストロゲン単独または疑似合成プロゲステロンとの組み合わせという間違ったホルモン補充を、治験も経ずに標準ホルモン療法として使用してきたという不幸な歴史を少しも反省することなく引き出した結論であり、安全なホルモン補充は既に確立していることを無視したものであることは、「安全なホルモン補充: 確かな証拠」で説明したとおりです。超低量のエストラジオールと本物(天然)のプロゲステロンを低量かつ経皮で使用する正しいホルモン療法を製薬会社が奨励し製品化していれば、ホルモン療法の危険性に関する配慮は全く異なったものになっていたはずであり、(3) の危険な薬剤には出番はなかったはずなのです。
    ビスホスホネート系薬剤は実は骨を弱くすることが知られているにも関わらず、依然として幅広く処方されているので、ここでは、(1)のホルモンと骨の関係を調べる前に、まずビスホスホネート系の薬がいかに百害あって一利なしの有害で無用の長物であるかについて見ていきます。
    骨を弱くする嘘つきビスホスホネート系薬剤
    ホルモン療法に関係する製品で頻繁に見られることですが、ここでも製薬会社は半分うその情報で医者と消費者を説得することに成功しているようです。これは、故ドクター・ジョン・リーが1996に出版した『医者も知らないホルモン・バランス』(今村 光一 ) で既に指摘していたことですが、ビスホスホネート系薬剤は実際には骨をもろくするのです。既にビスホスホネート系薬剤を使用している方やその使用を検討している方は「bisphosphonate-associated osteonecrosis (ビスホスホネートに関連した骨懐死)」を読む必要があります。ビスホスホネート系薬剤一覧表でどれがビスホスホネート系薬剤かを確認できます。
    • ビスホスホネート系薬剤が原因で発生するあご骨の骨壊死は歯科医の間で広く知られている副作用であり、損傷は2.5年間の連続使用で明らかになります。ビスホスホネート系薬剤を使用している場合、歯科医は骨に無理が掛かる処置を避けます。
    • 4 5 年間連続して使用すると、最初のうちは骨量増加によって強くなったように見えた骨が弱くなり折れやすくなります。
    このようなデータを見れば、ビスホスホネート系薬剤は百害あって一利なしという結論になります。
    ホルモン療法を避けてビスホスホネート系薬剤を使用するという選択は、本当は危険でない効果的な治療(百歩譲って、リスクがあるかもしれない治療)を確実に健康を害することがわかっている治療で置き換えるという選択です。ホルモン療法のもたらすリスク(副作用)は間違ったホルモン療法を使用した結果であり、正しいホルモン療法にはそのようなリスクはないことは、「安全なホルモン補充: 確かな証拠」で見たとおりです。
    さらに重要なことは、更年期に骨吸収が加速するという問題の解決には、骨吸収速度を適切に保つという点でエストロゲンはビスホスホネート系薬剤より優れているのです (Microdamage accumulation in the monkey vertebra does not occur when bone turnover is suppressed by 50% or less with estrogen or raloxifene.Jiliang Li, Masahiko Sato, Chris Jerome, Charles H Turner, Zaifeng Fan, David B Burr 2005)。エストロゲンと天然プロゲステロンを使った正しいホルモン療法は、後で説明する骨質の維持という点から見ても、安全性という点から見ても優れているのです。第一、人体同一のエストロゲンとプロゲステロンは私たちの体に必要なものですが、ビスホスホネート系薬剤は私たちの体には異物でしかありません。連続して使わなければいいといような問題ではないと思います。
    骨シリーズ
    1. 骨の健康:更年期に何が起きるのか
    2. 骨を弱くする嘘つきビスホスホネート系薬剤<<現在のページ
    3. エストロゲン・パラドックス
    4. 骨の維持とプロゲステロンの役割
    5. ストレスホルモンが骨を破壊する
    6. 更年期のエストロゲン補充が骨に役立つ理由
    7. お粗末な天然プロゲステロン研究の現状
    8. 骨質も骨量と同じだけ重要
    9. 骨の健康を維持するための基本


    2014/11/19

    更年期障害と心血管系の病気








    更年期の心血管系への影響

    疫学的データを見ると、30~50歳では男性の心血管系疾病が女性より多くなっています。更年期前と更年期以降の女性を比べると、更年期以降に女性の心血管系疾病が増加し、男性との比較でも更年期以前に見られた明確な差が見られなくなっています。
    このようなデータから推測されることは、卵巣ホルモン(エストラジオールとプロゲステロン)が女性を心血管系疾患から守っているということです。そのメカニズムを解明するために多くの実験が行われてきましたが、動物実験でも臨床実験でも、卵巣ホルモンが心血管系の機能に深く関わっていることは疑う余地のないことが示されています。
    卵巣ホルモンは、血管壁を形成する細胞の各層に直接作用して、あるいは自律神経系への影響を介して、血管の拡張と収縮、血管壁の浸透性などを制御することによって血流と血液の供給に影響を及ぼします(そのメカニズムのレビューにはGender, sex hormones, and vascular tone., Julia M. Orshal and Raouf A. Khalil, 2004を参照)
    中でも、最もよく研究されてきたのが、血管内皮依存性血流仲介性血管拡張反応 (endothelium dependent flow-mediated dilation: ここでは短縮して血管内皮依存性拡張反応と呼ぶことにします) のようです。これは、血流速度の変化によって血管内皮に掛かる力が変化するのを感知して適宜反応するメカニズムが血管内皮細胞に存在し、血流量が上がると血管が拡張して血流の増加に対応できることに注目した研究です。血管の拡張に直接関わっている物質は酸化窒素(NO)ですが、卵巣ホルモンが血管内皮細胞のNO生成を促進する作用を持っていることが確認されていることから、ホルモン補充を考える上でも重要な現象になっています(レビューには、Hormonal modulation of endothelial NO production.  Sue P Duckles, Virginia M Miller 2010を参照)
    体の各所に供給される血液の量は、その時々の必要性に応じて絶えず変化しています。運動などで体温が上がると、熱を発散するために体表面の血流が増加します。食事を取ると消化機能を活発にするために消化器官への血流が増加します。頭を使っているときは脳への血流が増加し、筋肉を使っているときは筋肉への血流が増加するといった具合です。血管内皮依存性拡張反応はこのようなオンデマンドの血液供給を支えるメカニズムなのです。
    血管の拡張は自律神経系のアセチルコリンという神経伝達物質やカルシトニン遺伝子関連ペプチド(CGRP)などの補助伝達物質の影響も受けます。血管内皮依存性拡張反応も神経伝達物質の作用も、血管内皮細胞がNOその他の血管拡張作用を持つ物質を生成する能力に依存しています。血管内皮細胞ではエンドセリンなど血管を収縮させる物質も生成されます。
    血流量が増加したときに、その領域の血管の平滑筋が弛緩して拡張しなければ、血流速度が上がり、血管壁に対する摩擦や圧力が高くなり、血管の損傷や心臓への負担が大きくなります。血液の供給自体も制限され、必要なとき必要な場所に酸素や栄養が十分に供給されなくなります。したがって、血管内皮依存性拡張反応は血液供給能力と心血管系の機能やリスク全般の指標となる機能として注目されてきました(レビューには、Endothelial Dysfunction and Coronary Artery Disease, Paulo R. A. Caramori, Alcides J. Zago 1997を参照)
    血管内皮依存性拡張反応は血管の堅さを示すものではありません。血管は堅くなると拡張しにくくなりますが (Wall stiffness suppresses Akt/eNOS and cytoprotection in pulse-perfused endothelium., Xinqi Peng, Saptarsi Haldar, Shailesh Deshpande, Kaikobad Irani, David A Kass, 2003)、血管内皮依存性拡張反応は、血管内皮に「依存しない」つまり、NOの直接投与による血管の拡張機能に比較して計算される相対的な値なので、血管の堅さはどちらにも同様に作用して「一応」相殺されます。
    血管内皮依存性拡張反応は、血流の増加によって血管内皮が刺激され反応する程度を表すと言うこともできます(Wall Shear Stress - an Important Determinant of Endothelial Cell Function and Structure - in the Arterial System in vivo. Discrepancies with Theory., Robert S Reneman, Theo Arts, Arnold P G Hoeks, 2006)。つまり、血管拡張能力は血管内皮が血流による摩擦の増加を感知してNO生成を増加させ、それによって血管の平滑筋を弛緩させる能力を反映しています。
    血管内皮依存性拡張反応は、臨床検査でも使用できる現象であり、その低下は動脈硬化の非常に早い初期段階で検出できる信頼性のある指標と考えられています([Regulation and dysfunction of endothelium-dependent vasomotricity. What can be applied to clinical practice?], J M Halimi, Y Lebranchu 2003)
    この血管拡張反応に対する卵巣ホルモン(エストラジオールとプロゲステロン)の影響はさまざまの角度から研究されています。低ホルモン状態(閉経後または卵胞期初期)では、この血管拡張反応が低下し、エストラジオールとプロゲステロンが高いとき(ホルモン補充時または排卵直前から黄体期中期にかけて)にはこの血管拡張反応が高くなります。血管直径の測定だけでなく、NO、エストロゲン受容体、NO生産に関わるたんぱく質など、それを支える生化学物質の量の測定でも同様の結果が観察されています(Vascular Endothelial Estrogen Receptor α is Modulated by Estrogen Status and Related to Endothelial Function and eNOS in Healthy Women.  Kathleen M Gavin, Douglas R Seals, Annemarie E Silver, Kerrie L Moreau 2009)
    正常な月経周期では、ホルモンレベルの最低時(生理の開始から26日:卵胞期初期)と最高時(排卵確認から2448時間後:黄体初期)を比較すると、エストラジオールが2倍、プロゲステロンが5倍増加することが観察されていますが、この変動に伴って、エストラジオールが高くなる卵胞後期に血圧(大動脈でも末梢でも)が最も低くなるのに対して、卵胞期初期の低ホルモン期には血管内皮のエストロゲン受容体の数が高ホルモン期に比べて30%低くなっているのが観察されています (Central, peripheral and resistance arterial reactivity: fluctuates during the phases of the menstrual cycle. Eric J Adkisson, et. al. 2010)

    更年期と血管内皮依存性拡張反応

    更年期は卵巣ホルモン衰退の結果なので、閉経後の女性の血管内皮依存性拡張反応が低下するのは少しも不思議ではありません(Comparison of forearm endothelial function between premenopausal and postmenopausal women with or without hypercholesterolemia. Mitsuhiro Sanada,et. al. 2003)。閉経後数年の範囲にある女性 (48 63歳の女性がテストされた)を調べると、エストラジオールのレベルは若い女性の正常な月経周期でエストラジオールが一番低い期間 (生理開始から28日目) と同程度で、エストロゲン受容体の数もそれに比例していました。しかし、血管拡張反応は30%ほど低く、プロゲステロンのレベルも、はるかに低いという結果でした (Vascular Endothelial Estrogen Receptor {alpha} is Modulated by Estrogen Status and Related to Endothelial Function and eNOS in Healthy Women.  Kathleen M Gavin, Douglas R Seals, Annemarie E Silver, Kerrie L Moreau 2009)
    生殖能のある若い女性に比べると、同年齢の男性の血管拡張反応は、女性の月経周期でエストラジオールとプロゲステロンが一番低いときの血管拡張反応に匹敵します(Modulation of Endothelium-Dependent Flow-Mediated Dilatation of the Brachial Artery by Sex and Menstrual Cycle, Masayoshi Hashimoto, et. al. 1995)。ホルモン療法を使用していない閉経後の女性と同年齢の男性を比較すると、血管拡張反応は同じレベルになっています(Effect of hormone replacement therapy on nitric oxide bioactivity and monocyte chemoattractant protein-1 levels., K K Koh, J W Son, J Y Ahn, S K Lee, H Y Hwang, D S Kim, D K Jin, T H Ahn, E K Shin 2001)。これらの観察は、疫学的データで見られた心血管疾患での男女差が閉経と共に消えるという現象に対応しています。
    卵巣摘出手術の後、血管内皮依存性拡張反応は急速に低下します。卵巣摘出の一週間後にはその低下をはっきりと観察することができると報告されています (Rapid changes of flow-mediated dilatation after surgical menopause. Masahide Ohmichi, et. al. 2003)。ネズミを使った実験では、この低下は12週間続いて最低値に達することが観察されています (Long-term effects of ovariectomy and estrogen replacement treatment on endothelial function in mature rats., Farzad Moien-Afshari, Emma Kenyon, Jonathan C Choy, Bruno Battistini, Bruce M McManus, Ismail Laher, 2003)。私がエストロゲン補充を停止しようとしたときは、3ヶ月ほどで更年期障害の症状が間違えようのない強さで襲ってきましたから、12週間というのは、その体験とも一致しています。
    補足:血管内皮依存性拡張反応に影響するのはホルモンだけではありません。血管内皮細胞によるNOの放出を増加させる効果があるものとして、エストロゲン、プロゲステロン、運動、食事などがあり、低下させる要因としては、酸化ストレス、喫煙、酸化されたLDLコレステロール、その他が報告されています(レビューには、Endothelial Dysfunction and Vascular Disease., Paul M Vanhoutte, Hiroaki Shimokawa H, Eva H C Tang, Michel Feletou, 2009 を参照)

    更年期障害と心血管系の障害

    ホットフラッシュなどの更年期障害は卵巣ホルモンの衰退に関係しているので、更年期障害と心血管疾病との間にも明確な関係が存在しているのではないかと予想されます。
    GambaccianiPepe2009年のレビュー(Vasomotor symptoms and cardiovascular risk. )で、更年期障害のホットフラッシュとの相関が認められる心血管系の変化として、血清中の抗酸化活動の低下、精神的ストレス下での心血管反応の増大、コレステロールの増加、交感神経活動の増大、血管内皮依存性拡張反応の減少、高血圧、大動脈石灰化リスクの上昇などがあると指摘しています。
    スウェーデンでは、4657才の女性5523を対象とした大規模な研究で、ホットフラッシュや寝汗と心血管障害の指標(コレステロール、肥満度、血圧など)との関係が分析され、小さいながら有意な相関が認められています (Menopausal Complaints Are Associated With Cardiovascular Risk Factors., Gerrie-Cor M Gast., et. al. 2008)。ホットフラッシュの程度と血管内皮依存性拡張反応の低下との間に見られる関係が、動脈硬化などの心血管疾患として検出されるのは、頸動脈の内膜中膜複合体厚の測定から見る限り、ホットフラッシュが強く出る閉経前後ではなく、かなり経ってからのようです (Endothelial Function, But Not Carotid Intima-Media Thickness, Is Affected Early in Menopause and Is Associated with Severity of Hot Flushes., Aris Bechlioulis, et. al. 2010)。ホットフラッシュと動脈硬化などの心血管疾患の相関関係が弱いのはその時間的なずれによるものとも考えられます。
    さらに興味深いことは、更年期障害の程度は心血管系の健康状態に左右されるように見えることです。因果関係を考えるとき、その反対を考えがちですが、よく見ると、更年期障害の程度は心血管系障害のリスク要因として知られているストレス、喫煙、運動不足などに左右されることが、米国における大規模の多人種を含む研究(405516,065人)で観察されています(Relation of demographic and lifestyle factors to symptoms in a multi-racial/ethnic population of women 40-55 years of age., E B Gold, B Sternfeld, J L Kelsey, C Brown, C Mouton, N Reame, L Salamone, R Stellato2000)
    これらの観察を総合して考えると、ホットフラッシュなどの更年期障害は単純にホルモンの低下のみに左右されるものではないという結論に達します。さらには、ホットフラッシュは更年期の一見健康そうな中年女性の心血管系で進行している変化のマーカーの一つと見ることができると言えます。
    心血管系の病気を患っている人を調べると、必ずといっていいほど血管内皮依存性拡張反応の低下が見られるようです。
    つまり、血管内皮依存性拡張反応は心血管系全般の健康状態の指標になると共に、その低下は悪化の要因と見ることができます。
    ホルモンの影響を受け、心血管機能に影響するもう一つの要因に自律神経系の活動があります。自律神経には交感神経と副交感神経があり、更年期障害は交感神経の活動が強くなり副交感神経の活動が弱くなることと関係しています(Menopause: Underlying Mechanismを参照)が、交感神経の緊張は高血圧とも関係しています。

    ホルモン療法の効果

    更年期のホルモン療法が血管内皮依存性拡張反応を改善することに疑いの余地はありません。これは間違った(危険な)ホルモン療法を使って行われた過去の実験でも見られる効果ですが、副作用を調べた実験では、血管内皮依存性拡張反応の改善はあっても血栓リスクが必ず上昇しています。長期使用では、血管内皮依存性拡張反応の改善自体も見られなくなっているものもあります。
    ホルモン療法と動脈硬化の関係も予想通りに観察されています。
    • Arterial intima-media thickness: site-specific associations with HRT and habitual exercise.,Kerrie L Moreau, Anthony J Donato, Douglas R Seals, Frank A Dinenno, Sharon D Blackett, Greta L Hoetzer, Christopher A Desouza, Hirofumi Tanaka 2002(耐久訓練を受けてきたスポーツ選手とホルモン療法を使用してきた女性では、動脈硬化のスコアがそうでない女性より低かった。ただし、エストロゲン+疑似プロゲステロン使用者の血液粘性(血栓リスク)が高かった。)
    ホルモン療法の効果は即座(長くても24時間以内)
    • Acute and mid-term combined hormone replacement therapy improves endothelial function in post-menopausal women with angina and angiographically normal coronary arteries. M Sitges, et al. 2001 (血管造影に異常が認められない閉経後の狭心症患者を調べた結果、血管内皮依存性拡張反応が低下しているのが観察された。そのような女性を対象に経皮(張り薬)エストラジオール100 microgを投与して、24時間後に調べると、血管内皮依存性拡張反応に改善が見られた。50 microg 6週間使用した場合も同様の改善が見られた。この効果は疑似プロゲステロン(酢酸メドロキシプロゲステロン)を併用したグループでも併用しなかったグループでも同じだった。ただし、6週間使用後の検査では明らかに血栓リスクが上昇していた。)
    • エストロゲンの血管を保護する作用は血管内皮のNO生成能力を促進する作用の現れであることがさまざまの角度から観察されてきましたが、エストロゲンの一つである17ベータ・エストラジオールを11mg(とんでもない過剰投与量ですが)を長期間続けた結果、NO生成の増加は見られなかったという報告があります (Long-term effect of estrogen replacement on plasma nitric oxide levels: results from the estrogen in the prevention of atherosclerosis trial (EPAT)., Juliana Hwang, Wendy J Mack, Min Xiang, Alex Sevanian, Roger A Lobo, Howard N Hodis 2005)
    • 虚血性大腸炎というまれな病気の原因がホルモン療法であったという結論に達した研究がありますが、実際に使用されたエストロゲンとプロゲステロンを調べると、さまざまな形態のエストロゲンが単独で、あるいはさまざまの疑似プロゲステロンと組み合わせて使用されていました。天然プロゲステロンを使用していたケースは一つもありませんでした(Ischemic colitis in postmenopausal women taking hormone replacement therapy., S Zervoudis, T Grammatopoulos, G Iatrakis, G Katsoras, C Tsionis, I Diakakis, C Calpaktsoglou, S Zafiriou. 2008)

    エストロゲン単独療法を正当化できる条件はありません

    更年期のホルモン療法によって血管内皮依存性拡張反応を回復できることに疑いの余地はありません。しかし、旧来のホルモン療法では必ず血栓リスクが発生することも見逃せません。ホルモン補充には、さまざまの形態のエストロゲンと疑似プロゲステロンおよび天然プロゲステロンが単独で、または組み合わせて使用され研究されてきましたが、ここで、最も重要なことは、安全なホルモン補充形態は人体同一(天然)ホルモンの経皮補充しかないこと、エストロゲン単独療法は危険であるということをしっかり確認しておくことです。詳しくは、「安全なホルモン補充: 確かな証拠」、「ホルモンレベル:過多と過少の見分け方」、「ホルモン補充療法: Dos Don'ts」をご覧ください。
    治験を経ずに標準ホルモン療法として大手を振って歩いていたホルモン療法、馬のエストロゲン(プレマリン)の単独または疑似プロゲステロン(酢酸メドロキシプロゲステロン=Provera)との組み合わせがアメリカで行われた長期間にわたる大規模の臨床実験で、その危険性が証明されたため、途中で中止されたという2002年のショッキングなニュースがまだ記憶に残っている人も多いと思います(この臨床実験のレビューには、Postmenopausal hormone therapy and risk of cardiovascular disease by age and years since menopause. Jacques E. Rossouw, et. al. 2009を参照)
    心血管系に対するエストロゲンの作用には、血管内皮依存性拡張反応のように保護的な作用と血栓のように命取りになりかねない作用がありますが、それとは関係なく、エストロゲンを使用するときは、子宮癌のリスクを下げるためにプロゲステロンを使用するのが標準となっています。過去の実験では、さまざまの副作用があることが知られていた疑似プロゲステロンが標準プロゲステロンだったため、プロゲステロン+エストロゲンを組み合わせた場合、エストロゲンの恩恵が維持されるかどうか懸念がありました(多くの論文では従来から天然プロゲステロンも疑似プロゲストロンも区別なく黄体ホルモン剤とかプロゲステロン剤とか呼んで、その区別が一般の医者や消費者にはわからないようになっていることにも注意する必要があります)。
    案の定、間違ったホルモン療法を長期間続けた結果、エストロゲンの心血管系に対する保護的な効果が見られなかったという研究も少なくありません。上で触れたアメリカでの大規模の臨床実験(WHI Clinical trials)がその最も大きな例です。エストロゲンの単独使用は安全でないこと、安全なプロゲステロンは天然プロゲステロンのみであるということが確立された今となっては、どうでもいいことですが、結局、酢酸メドロキシプロゲステロン(Provera, Amen, Cycrin)や酢酸ノルエチンドロン(Aygestin, Norlutate)などの疑似プロゲステロンは、エストロゲンの心血管系を保護する作用の邪魔をするというのが結論です (Progestins and cardiovascular risk markers., R Sitruk-Ware, 2000, Different cardiovascular effects of progestins according to structure and activity., A Nath, R Sitruk-Ware, 2008 )。さらに注意が必要なことは、人体同一ホルモンでも、投与量が多すぎる従来の経口ホルモン剤は有害であるということです(「ホルモンレベル過多と過少の見分け方」を参照)。
    エストロゲンの血管を保護する作用は、更年期のホルモン療法でのみ観察できる現象ではなく、通常の月経周期における高ホルモン期でも見られる作用であることは既に説明しましたが、どちらの場合も、血管内皮依存性拡張反応はその保護作用の一部にすぎず、その効果は以下の側面からも研究されてきました。
    血管内皮依存性拡張反応はNO(酸化窒素)の増加によってもたらされますが、NOのこの作用は心臓病の治療では良く知られているもので、ニトログリセリンなどのNOを放出する物質は狭心症の発作に対する薬としても利用されています(生殖器への血流を増加するために使用される ViagraLevitraCialisなどの薬でも同様の効果を得られるようです)NOの効用は、血管内皮依存性拡張反応だけでなく、動脈硬化度の減少、抗酸化効果、抗炎症効果についても知られています。
    NOの心血管系に対する保護作用には抗酸化効果も関係していることから、アルファリポ核酸や植物からの抗酸化栄養補助剤にも心血管系を保護する効果が期待されます。少なくともネズミを使った実験では、抗酸化栄養補助剤が抗酸化ストレスと炎症を減少することが観察されています。

    天然プロゲステロンの心血管系に対する保護的な役割

    ホルモン療法の心血管系を保護する作用の研究では、エストロゲンの作用に関心が集中しています。既に説明したようにプロゲステロンに言及するときは、エストロゲンの作用を妨害する可能性に関心が集中しています(例:「エストロゲンと血管」(高橋 一広)は疑似プロゲステロンと本物のプロゲステロンを区別していないので注意が必要です)。実際に、プロゲステロンが心血管系に対するエストロゲンの作用を妨害するかもしれないという懸念は、疑似プロゲステロンを使用した場合には、妥当な懸念であることが示されてきため、エストロゲンの単独使用を正当化する理由としても利用されてきました(エストロゲンとプロゲステロンの組み合わせは、エストロゲン単独使用がもたらす子宮癌リスクを回避するために必須となっていますが、子宮摘出後の女性の場合は必要ないと考えられてきました)。しかし、天然プロゲステロンを使うと全く異なった可能性が見えてきます。
    安全なホルモン補充: 確かな証拠」を読んだ方は既にご存知だと思いますが、子宮があるかないかに関わらず、エストロゲンの副作用である血栓を避けるには、天然プロゲステロンでバランスを取る必要があります。天然プロゲステロンの保護作用が示された疾患には、血栓のほかにも、子宮癌リスク、卵巣癌リスク、乳癌リスク、喘息発病リスク、冠動脈の痙攣リスクなどがあり、冠動脈の痙攣による狭心症や心筋梗塞を予防する天然プロゲステロンの作用はかなり前から知られていました (The mechanism of coronary artery spasm: roles of oxygen, prostaglandins, sex hormones and smoking., M Karmazyn, M S Manku, D F Horrobin1979)
    アメリカでは心臓病が女性の死因の第一位になっています(Heart disease is the No. 1 cause of death in women)心臓病は日本でも死因の上位に入っています。心臓発作の原因には大きく分けて2つあり、1つはプラークなどの蓄積によって血管が狭くなった結果の虚血、もう1つは血管が痙攣して異常に収縮した結果の虚血(冠攣縮性狭心症)です。アメリカの女性の場合も日本人の場合も後者が原因の心臓発作が多いと言われています。
    したがって、天然プロゲステロン補充は更年期以降の女性の健康管理に重要な役割を果たすと期待されます。しかし、なぜか今のところ、天然プロゲステロンのこの作用は医療研究者や医者にほとんど無視されています。たとえば、冠攣縮性狭心症についての論文(Coronary Artery Spasm: A 2009 Update -- Stern and Bayes de Luna)にも、それに対する批判(Letter by Morikawa et al Regarding Article, ''Coronary Artery Spasm: A 2009 Update)にも、天然プロゲステロンを治療に取り入れることを示唆したものは見当たりません。1997年に出されたCoronary artery spasm: a hypothesis on prevention by progesterone [冠攣縮性狭心症:プロゲステロンによる予防という仮説](I Kanda, M Endo 1997) は完全に無視されたようですが、天然プロゲステロンの心血管系に対する保護的な作用やその痙攣を予防するメカニズム、特にその即効性カルシウムブロッカーとしての作用については、医療現場でも十分に応用できるレベルで研究されてきました。
    プロゲステロン(黄体ホルモン)の研究を調べるときに注意しなければならないことは、そのタイトルやアブストラクトを読んだだけでは疑似プロゲステロンを使ったのか本物のプロゲステロンを使ったのかわからない場合が少なくないことです。ひどい場合には論文全体を読んでもわからない場合があります。そのような論文を掲載する専門誌には何らかの意図が隠されていると疑って掛かる必要があります。大多数の医者が疑似プロゲステロンと本物(天然)のプロゲステロンの作用に大きな違いがあることを知らずに、両方とも危険だと考えたり、間違ったホルモン療法を処方し続ける背景には、そのような「意図的な操作」があることも知っておかなければなりません。
    そのような例の一つに、Progesterone abolishes estrogen and/or atorvastatin endothelium dependent vasodilatory effects.[プロゲステロンはエストロゲンやアトロバスタティンの血管内皮依存性拡張効果を消滅させる](Andre Arpad Faludi, Jose Mendes Aldrighi, Marcelo Chiara Bertolami, Mohamed H Saleh, Renata Alves Silva, Yara Nakamura, Isabela R O Pereira, Dulcineia Saes Parra Abdalla, Jose Antonio Franchini Ramires, Jose Eduardo M R Sousa 2004)という論文があります。この実験で実際に使用されたホルモンはプロゲステロンではなく酢酸ノルエチステロンという疑似プロゲステロンであることはタイトルだけ読んだだけではわかりません。
    同様に、Effects of exercise training on bone remodeling, insulin-like growth factors, and bone mineral density in postmenopausal women with and without hormone replacement therapy. L A Milliken, et. al., 2003 では使用されたホルモンについて「医者が処方したあらゆるホルモン療法。。。経口のエストロゲン+プロゲステロン」と記述されていますが、この記述に当てはまるホルモンの組み合わせにはさまざまあり、実際に使用されたホルモンの中に天然プロゲステロンが含まれていたのかどうかは明らかではありませんが、当時一般に処方されていたいわゆる標準ホルモン療法や観察された結果から類推すると、ほとんどが疑似プロゲステロンだったと思われます。
    本物(天然)のプロゲステロンと疑似プロゲステロンの区別が重要な理由は既に解明されていて、エストロゲン+疑似プロゲステロンの副作用としては、心血管系への影響だけに限っても、命取りになりかねない血栓リスク、冠動脈の痙攣リスク、動脈硬化リスクが知られています。
    • エストロゲン単独使用には血栓リスクなどの副作用がありますが、天然プロゲステロンの単独使用には心血管系に対する副作用はないと報告されています。Progesterone does not influence vascular function in postmenopausal women.  Suzy Y Honisett, Ben Pang, Lily Stojanovska, Krishnankutty Sudhir, Paul A Komesaroff. 2003
    • ネズミの大動脈組織では、天然プロゲステロンがNO生成を誘発することが観察されています。これは、閉経後の血管内皮依存性拡張反応がエストロゲンの低下の度合いから期待される値より30%低いのは、プロゲステロンが低いためという可能性を示しています。Rapid effect of progesterone on the contraction of rat aorta in-vitro., Meili Zhang, G J Wang, Christina G Benishin, Peter K T Pang. 2003
    冠攣縮性狭心症には血管を拡張するニトログリセリン(NO放出物質)が効果があります。したがって、血管内皮依存性拡張反応を支えるエストラジオールのNO生成促進作用が冠攣縮性狭心症患者では低下している可能性が考えられます。日本の一般向けの医学情報を読むと、冠動脈の痙攣による心臓発作リスクはエストラジオールによって血管内皮依存性拡張反応を促進すれば軽減できるという印象を与える記述を良く見かけますが、エストラジオールが血管内皮依存性拡張反応を促進するという作用は確立されている現象といえるのに対し、血管内皮依存性拡張反応機能と冠動脈の痙攣リスクとの関係は確立していません。
    冠動脈の痙攣リスクは天然プロゲステロンを使用すれば回避できるので、エストラジオール単独使用によって回避できるかどうかは、実用上は問題になりませんが、冠攣縮性狭心症のリスクを下げるためにエストラジオール単独のホルモン補充を使用するなどということがないように注意してください。エストラジオール単独のホルモン補充は血栓その他のリスクを上げるだけでなく、冠動脈の痙攣リスクも上げる可能性さえあることが示唆されています(Postmenopausal estrogen therapy modulates nocturnal nonlinear heart rate dynamics. Irina Virtanen, Eeva Ekholm, Paivi Polo-Kantola, Heikki Hiekkanen, Heikki Huikuri. 2008)
    エストロゲンと違って、天然プロゲステロンは血管内皮に依存しない血管の弛緩をもたらします。それは動脈収縮の減弱という形で観察できますが、動脈収縮を弱くする作用も、血管の痙攣性収縮を弱くする作用も、血管平滑筋細胞へのカルシウムの流入を抑制するプロゲステロンの作用によるものです。
    もう一つ注意すべきことは、エストロゲンもプロゲステロンも投与量が低い方が効果があることを示す実験があり、高い投与量のみを使った実験の結果の解釈には注意が必要だということです。

    まとめ

    プロゲステロンとエストロゲンは血管の機能を異なった側面からサポートしていることは明らかです。両ホルモンのバランスが崩れると、その影響が何らかの形で心血管系にも現れると考えるのが妥当だと思います。
    エストロゲンもプロゲステロンも血管の収縮拡張機能、自律神経の反応性、動脈硬化、血管の痙攣などに深く関わっているということは、成人女性の心血管系の健康管理を考えるときには両方のホルモンを考慮する必要があることを意味します。心血管系の健康の指標 (血圧、血管内皮依存性拡張反応、最高血流量、血液中のNOなど) はすべて、月経周期のエストロゲンとプロゲステロンが高い期間に最も望ましい状態になります。その反対に、エストロゲンもプロゲステロンも低い期間は心臓発作などのリスクが高くなります。
    月経周期内でホルモンレベルが変動し、エストロゲンもプロゲステロンも低い期間が一週間しか続かない閉経前と違って、閉経後はエストロゲンもプロゲステロンも低い期間が無期限に続きます。閉経前の女性は男性に比べて心血管系の疾患にかかりにくいことが知られていますが、閉経後には男女差が消え、閉経前に比べて女性の心血管系疾患が増加し、アメリカでは心血管系疾患が女性の死因の一位になっています。ホットフラッシュなどの更年期障害は、健康に見える更年期の女性の心血管系で進行している変化のマーカーの一つと見ることができます。
    人体同一のホルモンを、超低量の経皮エストラジオールと低量の経皮天然プロゲステロンという形態で使ったホルモン療法は、ホルモンバランスを回復して、副作用なしで効果的に更年期障害を抑え、心血管系疾患リスクを削減します。

    アメリカの「女性の健康イニシアチブ」の一部として行われたホルモン療法の大規模な臨床実験では間違った形態のホルモン療法が使用され、それが危険であることが証明されたため、医者も消費者も混乱し、ホルモン療法を恐れて、疑心暗鬼の消費者には安全で効果的なホルモン療法があるということが見えにくくなってしまいました。安全で効果的なホルモン療法については、以下のページを参照してください。